東京高等裁判所 昭和28年(う)388号 判決
主文
原判決中、被告人両名に対し失業保険法違反の点について言渡した部分を破棄する。
被告人両名は失業保険法違反の公訴事実について無罪。
理由
被告人両名の弁護人小野清一郎、日野寛、鎌田英次の控訴理由は、末尾に添附する控訴趣意書と題する書面に記載するとおりである。
ところで、原判示によれば、被告人林宏は被告人東京芝浦電気株式会社の代理人として本件失業保険料を所定の納付期日に納付すべき義務があつたというのであるが、原判決のこの点に関する判断は、本件について昭和二五年一二月一九日に東京高等裁判所第八刑事部のした破棄差戻判決に従つたものであるから、今更これを非難することは許されないので、その所論を採用するわけにはいかない。しかし、すべて、義務の履行は、その履行が可能な限りにおいて期待さるべきであるから、もし義務者のおかれた諸般の情況が、義務者をしてその義務の履行をして不可能ならしめるような場合には、たとえ義務の不履行があつたからといつて、その不履行につき義務者の責任を問うわけにはいかない。けだし、法は何人に対しても不可能を強いるものではないからである。そこで、これを本件について看るに、原判決は右被告人の本件納付義務不履行のあつた事情として「被告人林宏が、被告人会社の代理人として、判示の如く納付期日に右保険料を納付しなかつたのは、本件発生当時の被告人会社の経理状況が終戦のインフレーシヨンと統制経済による原料価格と、製品価格との不均衡、過剰従業員による人件費の増大等に基く事業採算の困難、一般生活費の高騰に基因する従業員の賃上要求による長期間のストライキから生じた生産低下等により、唯さえ経理の困難さが存在したのに、之が延いては金融機関よりの融資の円滑を妨げる材料となり、益々経理状況に悪化を加えられていた事情もあつて、被告人会社の本店からの送金が遅れていた反面、前記工場長たる被告人林宏の自由裁量を許される手許資金もなく、又独自の権限で融資を受ける方法等もなかつた状態の下に起つたことが認められる」というのである。してみれば、かような事情たるや、被告人林宏に対し本件失業保険料納付義務の履行を期待することは不可能であつたと見るのが相当である。当裁判所は記録を精査し、更に事実の取調をしてみても、原判決の右認定をくつがえすに足る資料を発見することができないのである。しかるに、原判決は、右のごとく認定しながら、しかも一転して「凡そ、被告人会社の経理上の支払不能から、本件違反に出でざる期待の不可能なる所以を主張するについては、先ず以て、主たる経営担当者が経理上全力を尽して有効適切な手段をとつても、右の保険料納付が不可能であつたことが明かにされなければならないと解する」といい、そうして、ただ漫然と「本件については、未だ以て、右納付について必要な経理上為し得る有効適切な手段を尽して余す所がないとは認め得ない」と断じた上、被告人林宏に本件納付義務の不履行による責任を問うたのは、事を単に理窟の上だけで観念的に論じただけであつて、可能不可能の問題が実際的、現実的なものであることを忘れたという非難を免れないものといわなくてはならない。そこで、本件の納付義務不履行が原判決認定のごとき前示事情にもとずくとする以上、被告人林宏は該不履行につき故意がなかつたものとするの外なく、従つて同被告人に対し失業保険法所定の刑責を負わせることができない。それ故に、これと異つた見解の下に同被告人に右刑責の成立を認めた原判決は、まさに、違法であつたということができる。それで、論旨第七点はおのずから理由あるものというべく、原判決はこの点において、とうてい破棄を免れないので、他の論旨に対する判断を須いず、刑訴法第三九七条に則つて原判決を破棄し、更に同法第四〇〇条但書に従つて判決する。
さて、被告人林宏に対する本件公訴事実の要旨は、同被告人は東京芝浦電気株式会社の川岸工場長として同工場の経営を担当していた者であるが、右会社は失業保険法所定の事業主として保険料の納付義務者であるところ、同被告人は右会社の業務に関し、長野県諏訪郡川岸村所在の右川岸工場における失業保険者の賃金から控除した昭和二三年九月分荒井利周外五一六名の保険料二六、七九三円、同年一〇月分同人外四四二名の保険料二四、二五五円、同年一一月分同人外四三二名の保険料二四、二五五円をいずれも所定の納付期日である各翌月末日までに長野労働部失業保険徴収課に納付しなかつた、というのであるが、ここに指摘された不納付の事実が証拠上明らかであるとしても、これを故意によるものとするに由ないこと前段説述のとおりであるから、この公訴事実たるや、結局犯罪の証明なきに帰するものというべく、右被告人に対して刑訴法第三三六条に則つて無罪の言渡をしなければならない。
次に、被告人東京芝浦電気株式会社は、失業保険法第五五条に依り、行為者の責任に従属して責任を負うべきものであるところ、行為者たる被告人林宏について、右のごとく責任を認めることができない以上、被告人東京芝浦電気株式会社についても右規定に依る責任を認めることができないので、これに対しても刑訴法第三三六条に則つて無罪の言渡をしなければならない。
よつて主文のごとく判決する。
(裁判長判事 中野保雄 判事 尾後貫荘太郎 判事 渡辺好人)
控訴趣意
第七点かりに、被告人会社の本件失業保険料納付の遅滞が旧失業保険法五三条の違反行為であるとしても、被告人林にはその責任がない。原判決にいわゆる「主たる経営担当者」を訴追すべきである。「主たる経営担当者」を起訴しないで、末端の使用人にすぎなかつた被告人林を起訴したことは見当違いである。現に原判決は「本店からの送金が遅れていた反面、前記工場長たる被告人林宏の自由裁量を許される手元金もなく、又独自の権限で融資を受ける方法等もなかつた状態の下に起つたことが認められる」と説示しているのではないか。つまり被告人林は始めから経営上の責任がなく、従つて失業保険に関しても実体的な責任はないのである。しかるに原判決は「被告人林宏は、当時右の如き被告人会社の主たる経営担当者に於て右不要不急資材(スクラツプ等を指す)を処分して、収入を得ることの可能な状態を現認し乍ら、進んで之等の者に之を進言し強調して、その実現に努めたと認むべき的確な証拠の認め得ない以上、本社の送金の遅れている原因を主張する経理状態の改善について果し得る責任を尽したものとは云えないのみならず、かかる状態下にあつて、前記代理人たる地位を辞した事実も認め得ない。」として被告人林に責任ありとするのである。これは、全然証拠にもとずかないで実際上不可能なことを可能だと判断し、現実的に期待可能性がないのに観念的にそれがあると断定するものである。期待可能性の理論は、厳粛な国民的道義の立場において考えらるべきである。それは従らに個人的な肆意、放恣を弁護するために濫用さるべきものではない。しかし、苟くも道義的立場において期待可能性を考慮する以上、――原判決は明らかにれを考慮し、これを論拠としている。ただそれを明言していないだけである。――その可能性は実際的、現実的なものでなければならない。事実にもとずかないで、単に理窟の上で、観念的に事を論ずるなら、どんなことでも可能になる。世には絶対の不可能というものはないともいえる。そこにはもはや道義的な帰責はなく、単なる形式的、権威的な独断にもとずく帰責があるだけとなるであろう。
本件における被告人林の場合のごときは、まさに国民的道義観念又は社会通念に照して期待可能性のない場合ではないであろうか。被告人林は被告人会社の厳格な事務処理規程に拘束されていた。殊に支払については一々本社から指定された送金の枠を遵守しなければならなかつたし、工場長において自由に資金を調達することは許されなかつた。これは証人酒井武臣の供述によつて明らかであり、(記録九四二丁以下)原判決もこれを認めている。すなわち失業保険料の控除そのものが本社において行われたのであつて、被告人林には実は、「控除した保険料を納付しない」という構成要件的行為そのものがないのである。(論旨第五点参照)。納付しようにも納付する資金がなかつた。だから工場にやつて来た監督官も、その事情を認めて、東京において本社に請求することを了承したのである(記録九五一丁以下)。若し被告人が勝手に工場財産の処分その他によつて支払をするなら、懲戒され、場合によつてはその職を失う惧れさえあつた。これは弁護人の提出にかかる書証(経理事務処理規程、事業場ニ於クル従業員給与ノ処置ニ関スル責任者懲戒ノ件回議書)および被告人会社代理人高橋恒祐の供述(記録九六四丁)によつて明らかである。
原判決は被告人林が主たる担当者に対して「之を(不要不急資材の処分)進言し、強調してその実現に努めたと認むべき的確な証拠の認められない以上」云々と説示しているが、証人酒井武臣の供述によれば、被告人林は屡々上京して工場の現状を報告しており、失業保険料についても報告していることが窺われるし(記録九五一丁裏)、前にも述べたごとく、会社としては現に不要不急資材の処分を実行したのであるが、当時の会社としては到底失業保険料までも正確に納付することはできない状態にあつた。この点についての被告人林の供述は信用すべきものである(記録九七〇丁)。のみならず、当時川岸工場が労働攻勢のために身体の危険をおかすことなしには工場へ立入ることさえもできなかつたことは、証人大野一男でさえも認めている(記録九二七丁)。原判決は強いて理窟を構えて実際上可能性のないところに可能性があるとし、無理に有罪を断定することの誤を知りつつ、全く非現実的な観念的期待可能性の構想によつて自ら慰めているものにほかならない。
期待可能性の理論はドイツにおいてかの「暴れ馬」の事件を契機として発展したものであることは、わが邦においても広く知られている。癖のわるい暴れ馬の駁者は、主人のきつい命令で、日の暮れ方に重い荷を積んだ馬車を駆して出かけたのであつた。駁者は主人にその危険について警告したけれども、聞き入れてくれなかつた。これ以上主人にさからうと解雇されるかも知れない。こういう事情の下で、駁者にその途中で生じた事故について責任を負わせることはできない。というのがドイツ帝国裁判所の判例であつた。学者はその判例を手がかりとして期待可能性の理論を発展させた。
本件において被告人林の立場はあたかもこの暴れ馬の駁者とおなじ立場である。厳格な会社の指令にしばられ、懲戒、場合によつては失職の惧れさえもあることを、どうして被告人林に期待できよう。金融面の操作、ことに物資の処分による現金化はあげて本社における重役および経理部の義務であるばかりでなく、かりに被告人林に若干の義務があるとしても、労働者の工場占拠によつてそのことが実際上不可能である限り、期待不可能の故をもつて責任を阻却されるのである。
期待可能性の理論は、わが邦においても、学説上一般に承認されているばかりでなく、今や裁判上においても肯認されている。すでにかの甘糟事件に於て甘糟大尉の指揮の下に大杉栄の妻伊藤野枝及び甥宗一を殺害した兵士二人を「罪ヲ犯ス意ナキ行為」であるとして無罪とした(大正一二年一二月八日第一師団軍法会議判決、小野、刑事判例七八頁に掲載)。蓋し、犯意は「犯罪事実の認識」であるが、実は単なる犯罪事実の認識ではない。行為者がしなければならぬ、又しないことの可能な行為をしなかつたという非難をその本質とするものである。合理的に要求される努力をもつてしても、なお且つ避けることのできなかつた行為については、たとえ一応犯罪事実の認識があつても、現行刑法の道義的精神上責任を負わせるものではないと解される。ことに本件のごとき不作為犯については、法律上明らかに作為の義務があり、又その作為の可能性がある場合でなければならないのであつて、その可能性のないところに犯罪の成立するということはあり得ないのである。
原判決は、「本件違反行為が行政上の義務違反であることにかんがみ」云々と、行政犯であるということを強調している。これは従来行政犯について取締の必要上犯意を必要としないというような学説があり、実務上もとかく形式的な違反行為を以て足りるとする見解が支配しているところから来るとおもわれるが、これは刑法三八条一項但書の趣旨に反するのみならず、判例の趣旨に違反するものである。判例にいわく、「行政上ノ取締ヲ主眼トスル罰則ト雖モ明文ヲ以テ特ニ其ノ犯罪ノ成立ニ付キ犯意ヲ必要トセサル旨ヲ一般的ニ規定スルカ若クハ各犯罪ニ対スル規定上其ノ成立ニ犯意ヲ要セサルコト明確ナル場合ニ非サル限リハ一般刑法ノ原則ニ遵ヒ犯意ナキ行為ハ之ヲ処刑セサル趣旨ナリト解スルヲ相当トス」(大審院、大正五年六月八日、判決録二二輯九一九頁)すでに犯意を必要とする以上、それは道義的責任の意味において解されなければならない。行政犯なるが故に超人間的な力をもつてもなお不可能のような義務の履行を要求し、その不作為を刑罰制裁の下におくがごときは刑法三八条一項に違反するばかりでなく、人格的自由を重んずる近代の正義観に矛盾するものである。期待可能性は寧ろ行政犯においてこそ十分に検討されなければならない。何故なら行政犯においてはその義務は法令を待つて初めて生ずるものであるからである。
期待可能性の理論は、単なる学説ではない。現行刑法における道義的責任の観念の中に含まれ予定されているものである。判例も、特に最近行政犯について屡々期待可能性を問題とするようになつた。明らかに期待可能性の理論によつて原判決を破棄した判例としてつぎのごときものがある。
(1) 進駐軍関係の工事を請負つている被告会社が、請負工事を遅滞なく進捗させるためにその資材を調達する必要に迫られ、他の会社から統制額超過の代価で亜鉛鍍鉄板千七百枚を買い受けたという事実について、東京高等裁判所は、有罪を言い渡した原判決を破棄した(昭和二三年一〇月一六日高裁判例集一巻追録一八頁)。その理由は全く期待可能性の理論に他ならない。「法は規範を定立して一定の行為はこれを為すべしと命じ、若しくはこれを為すべからずと禁止し以てわれわれに一定の態度を義務づけておるが法は不能を強いるものでない。規範はその内容たる命令若しくは禁令の履行の可能なる事を前提とし、これを限度とする。而してその可能といい不可能というも絶対的意味における能不能をいうのではなく一般普通人にとつて義務の履行が可能なりとして期待せられるかどうかを標準とするのである。一般普通人が被告人と同一の地位状況の下におかれても問題の違法行為をせないで他に適法行為をなすことを期待し得ないときには被告人の違法行為を非難するのは難きを強ゆるものである。これは刑法の人間性の否定であつて却つて法の権威を失墜させるおそれがあるのであつて法の精神ではない。この趣旨は現行刑法上直接の規定はないが、所謂責任能力に関する規定は間接にこの趣旨を窮知せしめるに十分である。即ち刑法第三十九条乃至第四十一条の規定は精神発達の未熟若しくは精神障礙の為の責任能力のない者に対し他に適法行為をすることを期待することができないからこれを罰せずとしておるのである。故に普通の場合には義務履行が期待せられる責任能力者でも諸種の事情から義務履行を期待する事が出来ない場合に敢てこれを罰するのは上述の刑法の規定の精神に背くものと認むべきである。判例も難きを強ゆるは法の精神でないとしているのである(昭和五年二月二十八日大審院判決、判例集第九巻八二〇頁昭和十二年六月三十日大審院判決、同集第十六巻一〇七四頁)。ところが期待可能性の有無を判断するには行為当時の諸般の事情を検討すべきであるが法益の比較秤量においても必ずしも刑法第三十七条の如き制限に服すべきではない。少なる法益を護るため大なる法益を害する場合でも附随事情の重圧のため適法行為をなす事を期待し得ない場合もあり得るのである。
原判決を見ると所論の如く金子正光の本件行為は過剰避難であると判断すべきものである以上法益の権衡を考えることなく期待可能性の理論を以て刑事責任なしとする所論はこれを採用しないと判示し法益の権衡が破れておる以上期待可能性なしと認めるの余地なきものとして弁護人の主張を排斥しておるが、前述の様に法益の権衡ということは期待可能性の有無を定めるに重要なる一資料たるに相違ないがその限度を定めるものではないから原判決が法益の権衡を失するという理由を以て右弁護人の主張を排斥したのは責任の本質である期待可能性の意義を誤解したもので違法である。而してこの違法は判決に影響を及ぼすべき事勿論であるから論旨は理由があり原判決はこの点において破毀を免がれない。而して原判決の確定した事実だけでは期待可能性の有無を断ずるには不十分で更に行為当時の諸般の事情を検討する必要あるのであるが本件は当審に於て事実審理を為すを適当ならずと認めるから原判決を破毀し本件を原裁判所に差戻すべきものとする。」
(2) 被告会社(本店東京)は隠匿物資等緊急措置令に基き昭和二十一年三月十日までに山梨県下所在の三個の資材倉庫内にあつた該当物資の届出を山梨県知事に報告すべきであつたにかかわらず、右倉庫が静岡県蒲原工場の管理に属していたため、蒲原工場から一括して静岡県知事に三月十一日に提出され、山梨県知事には同月十二日になつてその写が送附され、報告期日におくれたという事実について、甲府地方裁判所は次のような理由で無罪を言い渡した(昭和二三年一〇月一四日裁判所時報二三号五頁)。これは下級裁判所の判決であるとはいえ、裁判所時報に掲載されて全国裁判所に知らされた判決であることを特に注意すべきである。「被告会社は、結局、本件報告義務の履行を極めて短時日遅滞したに過ぎないのであつて、形式的に観察するときは少くとも法令違反の結果が発生したことは疑いを容れる余地がないように見える。しかしながらこの数日遅滞した事実に基き直ちに被告人等に刑責を負担させることができるかどうかは、更に一考を要するところである。以上の証拠によつて明らかにされた事実は、被告人等は法令を遵守しようとするの誠意を有し、又これを通常の状態において遵守するの能力につき甚しく欠けたところもなく、その能力を尽して法令の命ずる義務を果そうと努めたのであるが、なすべき仕事に比し与えられた時間が短かかつたため、ついに数日その履行を遅滞したという事実である。飜つて、当公廷の証人Dの証言及び弁護人提出の第十四号証新聞発表によつて認められる。本件隠匿物資等緊急措置令による調査物資の報告成績は、きわめて悪く、昭和二十一年三月十日の期日迄に報告書類を提出するもの寥々たるありさまであつたため、当局において事実上受理期間を延長して追加申告を督励した事実に鑑みると、被告会社のような大会社で多量の調査物資を所有する者に対し、前記三月十日の期限厳守を要求することは、無理であつたような事情が窺われる。およそ誠意をもつて法令を遵守することに能力を尽し、なお所期の結果を得なかつたというようなものに対し、その能力が社会的に見て不相当に微弱であるような特別な場合でない限り、刑事制裁をもつてこれに臨むということは、明らかに法の目的に添わないことである。本件被告人等の場合のごときは、或いはこれを不可抗力によるものであるとするにせよ、或いは期待可能性なき場合であるとするにせよ要するに責任阻却事由のある場合とせねばならぬ。」かように、今や期待可能性の理論は判例、実務の上において肯認されつつある。しかも、特に行政犯、取締犯について、期待可能性が責任の条件とされていることは、顕著な事実である。本件失業保険料の納付遅滞のごときは、法文においてすでに「故なく」期限内に納付しなかつたことを構成要件としているのであり、違法で且つ道義的に責任のあることが積極的に立証されなければ、単なる納付期日の経過のみによつて罪となるものではない。然るに原判決は「罪となるべき事実」の判示において欠けていることは論旨第一点において指摘した通りであるのみならず、実体的に事実を誤認し、又法律の解釈を誤つている。この点につき最初の第一審が一度無罪を言い渡したことは却つて正当であつたが、第二審判決も必ずしも原判決の如き判断を強要してはいない。抽象的な「納付義務」があることを認めているだけである。たとえ抽象的に納付義務があつても、その義務を履行することが実際上期待できない場合には、責任がない。これが正義の要求するところである。
(その他の控訴趣意は省略する。)